新宿みやこんじょ継承記No.2 〜継がれない可能性もあったお話〜

父が店を手放す覚悟をした日

みやこんじょが「1億円で譲ります」と新聞に載った日

みやこんじょは2025元旦
宮崎日日新聞に「1億円で譲ります」という形で掲載されたことがあります。

この記事は父が自分の意思で出したものでした

年齢的にも65歳を迎え、
体力のこと、これからの人生のことを本気で考えた末の決断だったのだと思います。

自分の子どもたちよりも長い時間を一緒に過ごしてきた店を、
「誰かに託す」という決断をして世に出すのは、
相当な覚悟が必要だったはずです。

なぜ父は、そこまでの決断をしたのか

まず大きかったのは、年齢と体力です。

  • 65歳になり、体力的に以前のような無理がきかなくなったこと
  • 食道がんを経験したこと
  • 交通事故に遭ったこと

これらを通して、
「健康は当たり前ではない」ということを強く意識するようになったのだと思います。

そしてもう一つが、コロナの存在です。

飲食店のみならず、世界中が止まったようなあの時間の中で、
気持ちが少し前に進みにくくなってしまった部分もあったのではないでしょうか。

重なった現実が、決断を後押しした

年齢、体力、病気、事故、そしてコロナ。

それらがここ数年で一気に重なり、

  • 「この店をこの先どうするのか」
  • 「自分の代で終わらせていいのか」

を、本気で考えざるを得なくなったのだと思います。

だからこそ父は、
「売る」というよりも、「誰かに託す」という覚悟を持って、
あの記事を出したのだと感じています。

記事を見たときの、僕の正直な気持ち

僕がその記事を見たとき、
正直な気持ちは「嬉しさ」と「寂しさ」が入り混じったものでした。

  • 父がリタイアしても、
    みやこんじょという場所が残るかもしれないという嬉しさ。
  • でも同時に、
    知らない誰かが経営して、
    今までとは全く違うみやこんじょになっているかもしれないという寂しさ。

「自分の知らないみやこんじょが続いていく
その未来を想像すると、少し複雑な気持ちにもなりました。

現在の僕はアメリカに住んでいて、
本帰国を決断するのも簡単ではありませんでした。
タイミング的にも、すぐに動ける状況ではなかったのが正直なところです。

引き取り手が現れなかった、みやこんじょ

結果として、
みやこんじょには引き取り手は現れませんでした。

お客さんの中には、

  • 「自分がやってみたい」
  • 「何人かで出資して続けよう」

と言ってくださった方もいたそうです。

それだけ愛されている店だということは、
息子として本当にありがたいことだと思います。

ただ一方で、

  • 「みやこんじょは父の色が強すぎる」
  • 「他人がそのまま引き継ぐのは難しいのではないか」

という声もあったそうです。

「息子さんなら、いけるんじゃないですか?」

その中で、スタッフの一人が言った、

その言葉が、
父の心にも、そして後から聞いた僕の心にも強く残りました。


父の言葉と、僕の覚悟

父は昔から、
「自分の人生は自分で決めればいい」
というスタンスで育ててくれました。

だからこそ、

「みやこんじょ継がないか?」

と直接声をかけられたとき、
それは軽い誘いではなく、
本当に悩んだ末の言葉なんだと感じました。

その言葉をもらったとき、
僕の中で少しずつ覚悟が固まりました。


あの記事は「売るため」ではなく「つなぐため」だった

売るための記事だったのではなく、
次につなぐための記事だった。

あの記事やスタッフの何気ない一言がなければ、
今こうして自分が継ぐという決断に至ることもなかったと思います。

みやこんじょは、
偶然残ったのではなく、

父の覚悟と、多くの人の想いの中で、
「次へ進む道」を選んだ店

なのだと、今は感じています。

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この記事を書いた人

宮崎居酒屋「みやこんじょ」二代目。
アメリカで寿司職人を経験後、父の店を継ぐ決意をしました。
人と人がつながる場所としてのみやこんじょを、次の世代へつないでいきたいと思っています。
二代目としての日々や、店のリアルを発信中。

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