
「みやこんじょ、1億円で売ります」
あの記事が出てから、1年半。 結局、買い手は見つかりませんでした。
そんな中、
「みんなでお金を出し合って、みやこんじょを存続させよう」
という、本当にありがたいお話が持ち上がったこともあります。
しかし、それも諸事情で頓挫してしまいました。
そんな状況の中、あるアルバイトの子が、ふとこう言ったんです。
「みやこんじょは、色が濃すぎる。でも、息子さんならできるんじゃないですか?」
この一言がきっかけとなり、2025年1月、父から直接
「みやこんじょ、やらない?」と声をかけられました。
実は僕自身、それ以前の2021年頃から「みやこんじょを継ごう」と決めたり、
やっぱりやめたりを繰り返していました。ずっと心が揺れていたんです。
でも、海外でのキャリアをスタートするきっかけをくれた父から、
初めてストレートにそう言われたこと。
それが、僕の中で最終的な「継ぐ」という決断を下した瞬間でした。

話は少し過去に戻ります。
僕がアメリカに渡った2014年すぐの頃、みやこんじょは
「次はハワイにも店を出すぞ!」
と大いに意気込んでいる時期でした。
過去には銀座にも出店し、これまで言ったことをすべて有言実行にしてきた父。
「ハワイ店を絶対にオープンさせたい」
という父の熱い気持ちと、それに便乗する形でお客さんの期待値もどんどん膨れ上がっていきました。
さて、では「誰が」そのハワイ店をやるのか?
アメリカに渡り、永住権を手にしている僕が、一番その可能性が高いわけです。
ただ、当時の僕はまだアメリカ生活にも慣れず、英語もろくに喋れず、皿洗いをしていた身。
日本に一時帰国するたびに、周りからかけられる
「ハワイ店はいつオープンするの?」
という言葉が、実は恐怖でしかありませんでした。
結果的にその夢は僕の兄へと引き継がれ、2019年に本当にハワイ店という夢を叶えたわけですが……
僕が当時「やりたくない」と思ってしまった理由は、自分の性格にも関係していると思っています。
こうやって色々海外を渡り歩き、今は事業を継ぐために、アメリカでの安定した生活や
「世界中どこからでもオファーが来る日本人ミシュラン寿司シェフ」という肩書きを捨てて帰国しました。
これだけ見ると行動力があるように思われるかもしれませんが、実は僕は、
「ゼロから何かを作り上げていく」ということに対して、どうも億劫になってしまうタイプです。
最初に大きな資金を投入して、もしお客さんが来なかったらどうしよう。
失敗したらどうしよう。
石橋を叩きすぎて、叩き壊してしまうくらい慎重になってしまうのです。
でも、今こうして店を継ぐために帰国し、色々な方とお話をしていると、よくこんなことを言われます。
「ゼロから作った方が、まだ簡単だと思うよ」
「よく継ごうと思ったね。2代目の方が圧倒的に難しいでしょ」
自分の「慎重にリスクを避けて決めたつもり」の判断と、
周りが思っている「2代目の難しさ」の間に大きな乖離があって、色々と考えさせられました。
正直、みやこんじょを継ごうと決めた時に、100%の自信があったわけではありません。
15年近く日本を離れ、築き上げたアメリカでのキャリアを捨てて帰ることは、僕にとっても大きなリスクでした。
でも、「みやこんじょが持っている歴史」、
今もなお若いお客さんが来てくれていること、
そして宮崎県民の方々をはじめとする熱いファン層がいること。
これは飲食店にとって、何にも代えがたい最大の強みです。
「この店を、絶対にここで終わらせてはいけない」という確信だけは、最初からありました。
そして、この歴史をさらに上手く活かし、
次の世代へ繋げられるのは、
誰であれ家族である僕しかいないのだと思っています。

日本に戻って1ヶ月。
「何十年ぶりかに来たよ!」
というお客さんにたくさんお会いします。
そして毎回、「昔の店は、写真がそこら中にたくさん貼ってあってねぇ……」という思い出話をしてくれます。
そこで先日、実家にある過去の写真や、当時の新聞記事、雑誌の特集などを引っ張り出してきました。
ゼロから作る店にはない、この店だけの財産。
近々、これらをお店にたくさん貼っていこうと思っています。
当時の記憶を持っている方も、新しく来てくれる方も、
みんなが「みやこんじょの歴史」を感じられる場所にしていきたいと思っています。
マスター応援やコメントはインスタグラムまでお願いします!









