新宿みやこんじょ継承記No.55〜アメリカの永住権を手放しました〜

本当に欲しい人には喉から手が出るほど欲しいと言われる、アメリカの永住権。
その放棄申請の書類と永住権を、先日USCIS(米移民市民権局)へ郵送しました。
取得に5年と弁護士費用5000ドル、放棄は紙切れ4枚で郵送費12000円でした。

思い返せば、大学2年生だった2007年に申請手続きを始めたものの、ビザはなかなか下りませんでした。

その後、ペルーの考古学博物館での1年間のボランティアを経て、正式に渡米を果たしたのは2014年のことです。

あの頃の気持ちは、今でも鮮明に覚えています。
正直に言えば、「本当に行きたくない」というのが本音でした。

当時の自分には、明確な夢も、これからの人生をどう生きようかという目標もありませんでした。

「とりあえずアメリカに行けば、何か新しい自分や生きがいが見つかるかもしれない」という、わずかな期待と不安が入り混じった出発でした。

2014年3月、アメリカへ向けて出発前の一枚。

英語も寿司の技術もゼロからのスタート

それから早いもので、あっという間の12年が過ぎました。

渡米した当時は、英語力も寿司の技術も完全にゼロ。
現地では数え切れないほど心が折れかけましたが、本当にたくさんの温かい方々に助けていただき、一人では絶対に生きていけなかったと痛感しています。

今思えば、途中で挫折して日本に引き返さなかったのは、あのペルーでの経験があったからこそかもしれません。

ペルーでスペイン語をかじっていたおかげで、現地のキッチンで働くラティーノの仲間たちと心を通わせ、コミュニケーションを取ることができたからです。

あの時間は、間違いなく僕の最初の大きな支えでした。

仲良くなりすぎも良くなかったのかもしれないです

すべてをやり切り、胸を張っての「本帰国」

帰国した翌日には取材が来てくれました

今年、日本へ本帰国できたことは本当に嬉しく思っています。

生活の基盤がしっかりと整ってからの帰国だったため、アメリカの生活が嫌いだったわけでも、生活に困窮していたわけでもありません。

「あんなに順調にいっていたのに、なぜわざわざ帰ってきたの?」と不思議がられることもあります。

しかし、アメリカへ渡る前に「どう生きていこうか」という明確な目標がなかったのと同様に、

アメリカで永遠に何かを成し遂げたいという強い目標が僕にはなかったのです。

色々な方にかわいがっていただき、高級なおまかせ寿司屋のカウンターに立ち、ミシュランの星を獲得する経験もさせていただきました。

その結果、LinkedInには年俸5000万円クラスのオファーや、連日のように世界各地からのヘッドハンティングが届くような時期もありました。

もし、アメリカで日本人シェフとしてさらに高みを目指すモチベーションが燃え盛っていれば、そのまま大成功の道を突っ走っていたのかもしれません。

ですが、現実的なアメリカの高額な生活費や医療費を目の当たりにすると、

「もし自分の身に何かあったら一撃で終わってしまう」という慢性的な安心感のなさが常に付きまとっていました。

それ以上に、ミシュランをはじめとする様々なオファーを受け、自分なりにやり切ったという手応えがあったからこそ、

「今なら胸を張って日本に帰れる」と思えるようになったのです。

新しいチャレンジと、父とのちょっとした面白さ

外人さんのお客さんも増やす時期かもしれません

父が病気や交通事故などを経験したこともあり、実家である「新宿みやこんじょ」を自分自身が継いでいくというタイミングが訪れました。

人生のタイミング的にも、ここから日本で新しくチャレンジしたいという気持ちが自然と芽生えてきたのです。

周りの人からは、「せっかく取った永住権なのだから持っていた方がいい」とアドバイスされることもありました。しかし、毎年の面倒な税金申告の手続きや、「アメリカに拠点を置き続けなければならない」という物理的な縛りは、今の自分にとっては足かせでしかありません。

手放した今、不思議と心がすーっと軽くなり、晴れやかな気持ちでいっぱいです。

ちなみに、少し面白いのが、長年アメリカにいた僕がビザを手放した一方で、

来年に向けてハワイ進出のためのビザを申請している父がいることでしょうか。

親子してなんだか少しバタバタしています。

永住権という大きな肩書を手放した今、これからは「新宿みやこんじょ」という場所と、目の前のお客様にさらに集中して、全力で取り組んでいきたいと思います。

マスター

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この記事を書いた人

宮崎居酒屋「みやこんじょ」二代目。
アメリカで寿司職人を経験後、父の店を継ぐ決意をしました。
人と人がつながる場所としてのみやこんじょを、次の世代へつないでいきたいと思っています。
二代目としての日々や、店のリアルを発信中。