
日本に帰国してから、早いもので約二週間が経とうとしています。
5月は時差ぼけでも直しながら、まずはのんびりとお店の事務仕事を覚えよう……
なんて考えていたのですが、気がつけばほぼ毎日、
新宿の「みやこんじょ」の現場に立つ日々が続いています。
本当にありがたいことに、忙しくも充実した毎日です。
お店に立っていて驚くのは、一日に何組かは
「今日、いると思ったから来たよ!」
とサプライズで会いに来てくださることです。中には普段、
個別に連絡を取り合っているわけではない方もいて、
「まさか今日、この時間にふらっと来られるなんて!」
と、良い意味でお客様の動きが読めない嬉しさを噛み締めています。
こうした嬉しい再会を生み出してくれているのは、
今年の1月から始めたこのブログや、
2月からのInstagramといったSNSの力だと強く実感しています。
私たちが発信する日々の様子が、画面の向こうのお客様に届いているのだと、大きな手応えを感じる日々です。
しかし、それもひとえに「みやこんじょ」が歩んできた45年という長い歴史と、
父がこれまでに築き上げてきた深い人脈があってこそ。
過去の確かな足跡がSNSというツールによって再び輝き、
多くの方に「みやこんじょ」という場所を思い起こさせ、
新たな、そして温かい繋がりの輪へと導いてくれているのだと思います。
そんな中、先日はこれでもかと言うほどグローバルな夜がありました。
一組一組とお話をしてみると、
アメリカ、スウェーデン、オーストラリアなど、
本当に様々な国からのお客様ばかり。
さらには、色々な国の格闘家の方々が集まるグループまでいらっしゃいました。
僕自身、長くアメリカで暮らしていたこともあり、
こうした場面で英語が話せることは強みであり、メリットだと思っています。
しかしその一方で、ふと
「本物の日本を感じたい人にとっては、私たちが英語で対応しすぎることが、少し残念に映ることもあるのだろうか?」
と考えてしまうのです。
というのも、アメリカのお鮨屋さんで働いていた時、お客様のほとんどは日本が大好きな方々でした。
そんな「日本通」で、何度も日本に足を運んでいる方ほど、
現地の生の空気や「本当の日本」を肌で感じたいと思って来られています。
そう考えると、もしかしたら彼らは、過剰な英語のアシストを求めていないのかもしれない、と感じるのです。
先日、お一人で来られたアメリカ人のお客様が、こんな話をしてくださいました。
「ゴールデン街に行ってみたけれど、どこも英語表記の看板ばかりだった。なんだか観光客向けに作られた場所のように見えてしまって、入れなかったんだ。だから、google mapで検索して雰囲気良さそうなみやこんじょに来たんだよ」
と。
この言葉に、ハッとさせられました。
利便性を追求するあまり、外国人のお客様のためにと英語表記のメニューを完璧に揃えてしまうことは、
かえってお店が持つ「ローカルな魅力」や「リアルな日本らしさ」を薄めてしまうのではないか、と。
実際、今はお客様自身がスマホのGoogleレンズなどを使って、
メニューをスマートに翻訳しながら楽しんでいらっしゃいます。
私たちが先回りして英語のメニューを置かなくても、
デジタルツールが発達した現代なら、どうにでもなる時代なのです。
至れり尽くせりの観光地化されたサービスではなく、
地元の人に愛されるありのままの「みやこんじょ」の空気を感じてもらうこと。
それこそが、遥々海を越えてやってくるゲストへの本当のおもてなしなのかもしれません。
英語が話せるという自分のスキルは、コミュニケーションの最後の壁をそっと取り除くためのお守りとして持っておき、
お店の佇まいはあえて「ニッポンの居酒屋」のまま、飾らずにいようと思います。
今夜もまた、どんな出会いが待っているでしょうか。
SNSで繋がる皆様も、国境を越えて来られる皆様も、変わらぬ
「みやこんじょ」
の空間でお待ちしております。

