アメリカ生活、12年。
皿洗いからミシュラン職人へ駆け抜けた僕の、
嘘のような本当の話。
帰国を目前に控えた今、
その全軌跡を六話に分けて公開します。
【目次】
- 第1話:【幕開け】「行きたくない」から始まった。26歳、絶望の渡米。(2008-2014)
- 第2話:【屈辱の皿洗い】言葉はスペイン語、仕事は股間を触られること?(2014-2016)
- 第3話:【転落と覚醒】アメリカン寿司の洗礼と、保健所が来た金曜日。(2016-2018)
- 第4話:【ミシュランとコロナ】天国から地獄、そしてゴーストキッチンへ。(2019-2021)
- 第5話:【マイアミの奇跡】血だらけの年越しと、二度目の星。(2021-2024)
- 最終回:【決意】運命のバトン。新宿「みやこんじょ」二代目へ。(2024-2026)
【第4話】ミシュランの星、消滅。コロナ禍での「ゴーストキッチン」の日々
ミシュランの星を獲り、いよいよ職人としてさらなる高みへ――。
カウンターでの握りトレーニングを始め、
気合が入っていた僕の前に立ちはだかったのは、
努力ではどうにもならない巨大な壁でした。
2020年、新型コロナウイルス。

2020年3月16日、
全米で広がりを見せるコロナウィルスに対して
当時のワシントンD.C.の市長が
店内での飲食を全面的に禁止したこと。
それが意味することは僕が働いているような
おまかせレストランは持ち帰りなどやっていなく
店の休業を余儀なくされました。
(目の前で握りたてのお寿司をお客様に食べてもらうことに意味があるため)
昨日まで200ドルのコースを出していた華やかな寿司カウンターは静まり返り、
僕は自宅での隔離生活を送ることになりました。

手袋、マスク。席数も減らして営業開始しました。
「働かざる者」の焦燥感
幸いなことにアメリカ政府からの失業保険は手厚く、
週に1,000ドル近くが振り込まれていました。
働かなくてもお金が入ってくる。
多くの人は「ラッキー」と思うかもしれません。
でも、日本人であり職人として生きてきた僕の心は、猛烈な「罪悪感」に苛まれていました。

(通常の失業保険は週最大444ドルだが、コロナによる特別加算金600ドルが上乗せされていました。この制度は連邦による延命措置で何度も受給期間が引き伸ばされ最終的に1年6ヶ月まで受け取れたそう。当時は多くの方が
「働くより失業保険をもらっていた方が収入が多い」というジレンマに陥り、アメリカ社会全体で議論になっていた時期でもありました。)
「自分は何も生み出していないのに、こんなに貰っていいのか?」
「このまま腕が鈍ってしまうんじゃないか?」
そんな時、以前から仲の良かったラーメン店の友人が、
ある新しいビジネスに誘ってくれました。
当時アメリカで流行りだしていた「ゴーストキッチン」です。
対面接客なし。
一つの大きな建物に複数の店舗が入り、
デリバリーと持ち帰りだけで運営するスタイル。
「寿司をやる場所はまだないけど、まずはラーメンで一緒にやらない?」
ミシュランの星を背負い駆け出し始めた僕が、
デリバリー専用のラーメンを作る。
職を選んでいる場合ではないにしろ、それ以上に僕は「現場」に飢えていました。
2020年8月、僕は失業保険を断ち切り、再び厨房に立ちました。

頭がおかしくなるほどの「現場」

ビーガンラーメン
ゴーストキッチンでの仕事は、想像を絶する過酷さでした。
寿司の繊細な世界とは全く異なりました。
ひたすらラーメンスープを大きい寸胴で作り、
毎朝大量のお弁当を作っては一人でそのまま仕込みから営業。
最初の3ヶ月は、まさに「狂気」でした。
溜まっていたエネルギーをすべてぶつけるように、
体を壊すまで働き続けました。
寿司屋のカウンターでは決して流さなかったような種類の汗をかきながら、
僕は必死にスープを回していました。
でも、そんな「異常な忙しさ」も長くは続きませんでした。
3ヶ月を過ぎた頃、嘘のように客足が止まりました。
周りの店舗もどんどん暇になっていく。
時代の波に乗ったはずのゴーストキッチンというシステムが、
少しずつ形を変えていくのを肌で感じていました。

運命を動かしたSNS「LinkedIn」

そんな不安定な日々の中、支えになったのは
当時婚約したばかりのKTでした。
「働きすぎだよ」
と心配してくれる彼女の存在が、僕に「自分だけの人生じゃない」という自覚を持たせてくれました。
そしてある日、何気なく始めていたLinkedIn(ビジネス用SNS)に一通のメッセージが届きます。
「今度、フロリダでミシュランガイドが始まる。あなたのような経験を持つシェフを、マイアミの店に迎えたい」
マイアミ。南国の風。
そして、再び「星」に挑戦できるチャンス。
かつて日本、ドイツ、スウェーデンに住み当時は南米ガイアナで国連のスタッフとして
世界を渡り歩いてきたKTに相談すると、彼女は意外な反応を見せました。
「アメリカに住むのはもう飽きてたけど……マイアミなら住んでみたいかも!」
彼女のその一言で、僕は120%の熱量で働いたゴーストキッチンを去る決意をしました。
(奇しくも、僕が辞めると同時にその店も閉店となりました)

「みやこんじょ」の影が、少しずつ形に
その後見事にマイアミで採用され
移住準備期間、僕はKTのいる南米ガイアナに滞在したり、
日本へ長期帰国したりしていました。

近年はオイル生産で急成長しているらしい
その時、父にふと漏らした言葉があります。
「いつかは、日本に帰りたいと思ってるんだよね」
父からの返信は、シンプルでした。
「じゃあ、『みやこんじょ』をやればいいんじゃないか?」
当時はまだ、ぼんやりとした選択肢の一つでした。
でも、この言葉が種となり、マイアミでの最後の挑戦を経て、
大きな決意へと育っていくことになります。

(つづく:第5話「マイアミの光と影。顔面血だらけの年越しと、二度目のミシュラン」)
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